講師紹介

 

東京都世田谷区で声楽とピアノの音楽教室主宰。

講師歴は27年。

4歳から80代、病気の後のリハビリのヴォイストレーニングから

音大受験生、170名以上の方に指導。

 

教室の他に、ソプラノ歌手として音楽活動、

カルチャーセンターで「ヴォイストレーニング講座」、

高齢者施設で歌のレクリエーション、コンサートを行っている。

 

このような方がレッスンにいらしています。

  • 音大受験生
  • ミュージカルの舞台を目指す中学生
  • 憧れのオペラアリアが歌ってみたい
  • 病気の後、声が出なくなった方のリハビリヴォイストレーニング
  • 趣味でラテン(歌)を習っている方のヴォイストレーニング
  • 合唱サークルに所属しているが、もっと声が出るようになりたい

どんな目的の人でも声を出すための根っこの部分、

身体の使い方は同じです。

 

声を出す基礎、音楽の基礎を噛み砕き、それぞれのニーズに合わせて、

歌やピアノのレッスン、講座をしています。

 

 

 

生徒さんからは、

 

  • 声がすごく出るようになったと実感
  • 電話の声が若々しくなったと言われた
  • 病気で声が出なくなり、会話が苦痛だったが、トレーニングをすると日常生活に困らなくなった
  • 音楽系の部活で、音程が取りにくかった中学生が自分の歌に自信を持てるようになった
  • 学校でピアノ伴奏をして、上手だったと保護者の間で評判になった 

 

などのお声を頂いています。

 

 

 

楽しく、思った通りに演奏するためには

まず、自分の思ったタイミングで、イメージした音が出せることが大切です。

 

 

 

声を出す基礎の基礎、

音楽の基礎をしっかり身につけることにより、

 

相手(お客様)に届く演奏ができ、

自分の未来へ近づくことができます。

 

 

どんな目的の方でも、

「声を出す基礎」「歌やピアノを演奏するための基本」の部分は同じです。

 

 

 

声や歌、ピアノ、音楽を通して、

「基礎」から「生徒さんがなりたい自分」になるための橋渡し、

 

また人生を心豊かに過ごすための

お手伝いをしたいと思っています。

 

 

 

 【経歴】

 

京都市立堀川高等学校音楽科を経て、国立音楽大学声楽科卒業。

東京コンセルヴァトアール尚美ディプロマコース修了。

二期会オペラ研修所修了。

 

オペラでは、「ラ・ボエーム」ミミ、「トゥランドット」リュー、「フィガロの結婚」ケルビーノ、「魔笛」童子、「蝶々夫人」ケイト他で出演。

 

東京室内歌劇場会員。

 

また、これまでに100以上のオペラやコンサートの舞台を経験、

30人以上の声楽家、指揮者、演出家の指導を受けて来た経験をもとに

 

⭐️Facebookグループ「超入門!林亘子のオペラサロン」にて、

オペラにまつわる話を、毎週月曜日21:30〜ライブ配信中!

 

★日々の活動は、ブログで更新中!

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林亘子の詳しいストーリーは【My Story】をご覧ください。

 

【My Story 目次】

 

マイストーリー①【音楽との出会い】

マイストーリー②【歌を始めたきっかけ】

マイストーリー③【音高、音大時代】

マイストーリー④【大学卒業~音楽活動を開始】

マイストーリー⑤【オペラ研修所】

マイストーリー⑥【自分の声と向き合う】

マイストーリー⑦【自分の進む道】

 

 

My Story

 

 

 

【音楽を始めたきっかけ】

 

小さいころから、音楽、歌うことが大好きでした。

いろんなものをマイクに見立てて、歌っていました。

 

 

私は5歳からピアノを習い始めました。

 

初めての発表会の写真

 

 

私がピアノを始めるにあたり、

母はピアノの先生を熱心に探しました。

 

母は自身の経験から

 

「悪いクセを一度つけたら、もう直らない」

 

そう言って、

私のピアノの先生は

半年近く探していたように記憶しています。

 

私の最初のピアノの先生は

桐朋を卒業したばかりの若い女の先生。

 

 

私の先生は導入レッスンから教えるのは

私が初めてだったそうで、

 

とても丁寧に教えて下さいました。

 

そして、家では母の特訓が待っていました。

 

毎日の練習が約束で、練習が終わるまで遊ぶことができない。

 

ピアノを弾けばいつも怒られて、

毎日、泣きながら練習したことが記憶に残っています。

 

でも、レッスンと発表会は褒めてもらえるので、大好きでした。

 

 

【歌を始めたきっかけ】

 

私が声楽のレッスンを始めたのは、中学2年生の時。

 

 

始めた理由は、当時住んでいた

京都の堀川高校音楽科の受験を決めたから。

 

問題は何の専攻にするかということ。

 

「ピアノ科は無理(←練習が嫌い)

歌は好き。きれいなドレスも着たい!

声楽は宝塚(子どもの頃の夢はタカラジェンヌ)みたい。

 

そうだ!声楽にしよう!」

 

と安易な動機から、声楽のレッスンを始めました。

 

ピアノは楽器があり、音が決まっていますが、

声楽の難しさは、楽器が自分自身。

 

使う場所は身体の中の方、

 目に見えない部分で、

音も音程も何もないところから作っていくのが面白さであり、

難しさでもあります。

 

 

そんな「声楽」という分野。

 

人と同じスタートラインに立つまでに時間のかかる

不器用な私が飛び込んでしまったのでした。

 

 

 

【音楽高校~音大時代】

 

中学生の頃から、声楽レッスンを始め、音楽高校に合格。

 

声楽のレッスンでは、主に2つのことをやります。

 

それは

「声を育てること」「曲を歌えるようにすること」

 

本来ならば、音楽高校にいる時は

声楽の基礎訓練で「声を育てる」大切な時期。

 

音楽高校では「声楽」や「ピアノ」の実技試験があります。

 

その実技試験に向けて、

試験で得点の取れる曲を歌えるようにしなければならないのが、

音楽高校のレッスンでもありました。

 

そして、大学受験では東京芸大を目指して、

東京にもレッスンに通うようになります。

 

当時は芸大を目指して、ひたすらレッスンに通いました。

 

ある時、先生に

 

「去年の入試で、夜の女王のアリアで受かったコがいるから、あなたも夜の女王を練習しましょう」

(『魔笛』の夜の女王のアリアは高音の出てくる超絶技巧の曲です)

 

と言われて、練習することに。

 

私がそれまで歌っていたのは、イタリア語の声楽曲ばかり。

 

それが初めて歌ったドイツ語の曲が

なんと、コロラトゥーラの超絶技巧の曲だったのでした!!

 

結局、夜の女王のアリアは

最高音が安定して出るようにならず、断念。

 

そして、大学は国立音楽大学へ。

 

幼稚で視野の狭い私は、「夜の女王」が歌えなかったのも、

芸大に入れなかったのも、自分が未熟だから、

 

上手になれば、夜の女王のアリアが歌えるようになると信じていました。

 

負けん気に火がついた私は

「高音を出すこと」「より難しい曲をマスターすること」に

燃えていきました。

 

【大学卒業~音楽活動を開始】

 

学校を卒業後はアルバイトをして、

ブライダルの聖歌隊、

自宅でピアノ教室をしながら、音楽活動を始めました。

 

とにかく上手くなりたかったので、

チャンスがあれば、いろんな先生のレッスンを受け、

 

オーディションやコンクールにもチャレンジしました。

 

 チャレンジと挫折を繰り返しながら、

時々、オーディションに受かり、オペラの舞台に立つことができました。

 

オペラ初舞台「魔笛」童子役

 

 

 

 

挫折を多く経験し、歌い続けることに心が折れかけていた私でしたが、

 

たくさんの人と作り上げるオペラの経験は忘れがたく、

もっと上手になりたいと思うきっかけになりました。

 

【オペラ研修所】

 

演技の勉強をするために研修所へ。

 

何となくやるということができない

不器用な私は苦戦しました。

 

でも、共演者、助演の方にひとつひとつ教えてもらい、

お芝居、演技の組み立て方を覚えていきました。

 

演技については苦手意識がなくなる中で、

オペラをやる時に自分にもっとほしいと思ったのが

「声」と「自在な表現力」。

 

 「こうやりたい」と思う中で、

自分の声の都合で、思ったような表現ができないことが多々ありました。

 

 演奏会やオペラの舞台を経験するうちに

漠然と自分の声に行き詰まりを感じられるようになっていました。

 

 

【自分の声と向き合う】

 

私が自分の声と向き合うきっかけは、

研修所時代、ある先生に言われた言葉です。

 

「あなたの声はチョコレートでコーティングされたピーナツみたい」

 

周りにチョコレートがいっぱいついていて、

もとのピーナツの形がどんな形をしているのかが見えないというのです。

 

それまでの私は、より立派な声を出すために、

声を作って、力が入っていました。

 

そこから、私は自分の発声のフォームを一から見直し、

自分の声探しが始まりました。

 

その後、私は一つの発声のメソッドに出会います。

 

初めてのレッスンの時、私はひどい気管支炎で、

普通の歌のレッスンなら、とても歌えない状態。

 

でも、その先生に言われた通りに歌うと、全く問題なく歌えるのです。

 

そして、長年、いろんな先生に指摘されてきても

上手く行かなかった原因がわかりました。

 

それは、歌のレッスンでは、大前提となっている声を出すための基本があるということ。

 

その声を出す基礎の基礎の部分が、私には欠けていました。

 

でも、そこに切り込むと時間がかかるので、

試験やオーディションなど、

結果を出さなければならない時は短縮されがちなのです。

 

私もこのトレーニングを続けるうちに、

自分がどんな練習をすれば歌えるようになるのか見えるようになり、

何より自分の声に可能性を感じられるようになりました。

 

【自分の進む道】

 

自分の声の基礎のトレーニングを始めて数年後、私に大きなチャンスが来ました。

 

以前、共演した方の主催する公演「トゥーランドット」リュー役のオファー。

 

このリューという役は、ソプラノなら一度は歌ってみたい役のひとつ。

愛する王子のために自害する健気な役です。

 

本番までの準備期間は1年。

 

1年かけて、声のトレーニング、音楽を創り、リューという役を作り、

本番の舞台に立ちました。

 

 

本番、クライマックスへ向けて、

それまで積み上げたリューという役が私の中から湧きあがり、

自分の想いが声に乗り、客席に届く感覚を味わいました。

 

 

お客様からは、

 

「涙が出た」

「客席が泣いていた」

「リューが天から降りてきたみたいだった」

「声が客席いっぱいに届いていた」

 

という嬉しい感想を頂きました。

 

長い間、紆余曲折した私の声探しでしたが、

ようやく「こうやれば、何歳になっても、声は進化できるのだ」

と確信が持てるようになりました。